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新規就農までの道のり

第1章)はじめに
農業とは無縁のこれまで
北海道に決めたわけ
農業!?

第2章)名寄までの遠い道
研修先の視察
これで名寄に決めました
会社辞めなきゃ!

第3章)農業研修生時代
全てが初体験
   体力勝負の一年目
翌年就農を常に頭に
   全てを吸収二年目
一番難しい時期
  就農目前のオフシーズン

第4章)就農一年目
ゼロからのスタート
楽しい!

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第1章)はじめに・・・農業とは無縁のこれまで

当農園は夫婦二人で経営しています。 農園主の私と妻です。
農園主の生い立ちは自己紹介でも書いていますが、サラリーマン家庭に生まれ18年間程九州で育ち、千葉・東京・神奈川など関東で学生時代・サラリーマン時代を20年間程生活していました。
妻は神奈川県の自営業家庭に生まれ、神奈川県の会社に就職し結婚退職して、神奈川県で専業主婦をしていました。 人生一度も神奈川県の外には住んだ事が無かったわけです。

こんな二人が、それまで縁もゆかりもなかった農業の世界に、しかも関東より北には住んだ事も無い、北海道のそれも北の北に来てしまったのでした。

今、こういう生活をしていることは、少なくとも北海道に移住する2年前には全く思ってもいなかったことでした。

名寄ってこのあたりです
    ↓↓↓↓↓↓


第1章)はじめに・・・北海道に決めたわけ

会社の仕事がいやになったわけでもなく、人間関係に問題があったわけでもなく、給料が少なかったわけでもなく、会社が危なかったわけでもなく、サラリーマン生活としては全く問題ない、いわゆる普通のサラリーマン家庭の生活をしていました。

今考えると、「給料取りではなく、自分の手で生きていきたい」
「このままサラリーマンやってたら平穏な生活は送れるかも知れないけど、きっと体が動かなくなってきた頃に、何か物足りなさを感じると思う」
「人生一度きりなんだ、思い立ったことはやり残すな! 後悔先に立たず!」 そんなことを考えていたと思います。
農業という話は置いといて、まず、サラリーマンを辞めて、田舎に移住し、自営で生活していきたいと強く思うようになっていきました。 私はそう考えただけでサラリーマンを否定しているわけではありませんので誤解の無いよう...

幸運なことに妻も大賛成で、それからは二人で移住候補地を探し始めた次第です。
ここでよーく考えないといけないのは、もちろん自分たちのことなのですが、自分たちの周りの人々が、自分らがそのようなことを始めるということで、どのような影響があるか?
ということをじっくり思案しましょう。 家族、親兄弟、会社関係、友人、親戚、その他もたくさんいますね。
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私たちの移住候補地は4箇所ほどありました。
・鹿児島/沖縄の島
・南四国
・信州
・北海道
一年中暖かいからとか、田舎だからとか、美味い物が多そうだからとか、生活費がかからなそうとか、気持ちがよさそうとか、いろいろ選考の基準とマイナス要因とかもあったのですが、結局昔から何度も訪れて「いつかはここに住めたらなぁ〜」と言っていた憧れの大地であった北海道に行かなかったら、絶対に後悔する!
悩んだ挙句、よーし北海道でパン屋をやってみよう!
と決まった次第でした。


第1章)はじめに・・・農業!?

何を隠そう私たち、最初は農業をするって事は考えていませんでした。
移住を最初に決断し、次に職業を模索していました。

昔から何度も北海道には訪れ旅をしていました。
その中で自分が一番「これが北海道だ!」って感動した景色は、日本離れしただだっ広い畑に幾列にも並ぶジャガイモの花や緑鮮やかな野菜が続く風景、何処までも続くトウモコロシ畑や鮮やかに小麦色に染まる畑、背丈よりも大きな牧草ロールがモザイクのように広がり優雅に牛が寝そべる牧草畑。
どれを取っても農業の風景でした。

ここまで思っていて、北海道に移住しようっていうのに農業をやらないわけないですよね!
あのいつも感動していた風景が自分の仕事場だったらそりゃもう最高でしょう!

そんなこんなで、農業に関して色々なことを調べていくうちに、自分で作ったものを消費者に食べていただけること、人々の命をつなぐ食料という大切なものを育てられるという喜び、などなど、どんどん農業の奥の深さにはまり込んでいきました。
頭の中で考えているだけではもう耐えられません、自分で作物を作りたいって考えでいっぱいになってしまったわけです。

農家や漁師などの一次産業って全て世襲だと思ってました。
私も含め、おそらく農業に縁の無いほとんどに人々はそう思っていると思います。
ところが、これが全く新規にやりたい人でも農家になれる道があったのですね、というより、今時は何処の自治体でも大抵農家になりたい人々をバックアップしてくれているようですね、今や特別な職業ではなく、普通の職業(自営業)の一つと考えてもいいかもしれません。

更に農業は国や地方自治体などからも、資金面や技術フォロー、教育など、他の産業からは考えられないくらい優遇されていると思います。
なんせ一次産業ですから、これが無きゃ人間の存続に関わる問題です、たとえ国が貧乏になって二次・三次産業を見捨てることになっても一次産業は守られるでしょう。
(二次・三次産業に携わる方々・・・気を悪くなさらないで下さい、悪気は無いんです)

もう一つ農家のいいところって、たとえ何がどうなっても食べていく事だけは出来るのです!


第2章)名寄までの遠い道・・・研修先の視察

担い手センター


まず、北海道で就農したいと思ったときに「社団法人北海道農業担い手育成センター」で相談することをお勧めします。
担い手センターは札幌にあるのですが、東京・大阪にも道外センターとして出張所があります。
自分の希望や資金などの制度面、必要条件や生活面など何でも相談にのってもらえますので、疑問質問はどんどんぶつけましょう!
ただ重要なのは、自分のやる気・くじけない根性・田舎に溶け込める柔軟性・人付き合いがまっとうに出来ること、最低これぐらいはクリア出来なければやめておいた方がいいと思います。
事業を始める経営者になるということを忘れないで下さい。生半可な気持ちではやることは出来ません、「農的な生活」とは違いますので。

私は東京の担い手センターに相談に行きました。
そこで自分の想いを伝え色々質問し、会社の夏休み(約10日間)を利用して現地に視察に行くアポイントを取ってもらいました。
この時点で私の希望は絞りきれておらず酪農と畑作の両方の視察に行くことにしました。
具体的に行ったところの明記はここでは避けておきますが全部で5市町村、そのうち酪農の話は3箇所で、畑作の話は4箇所で聞くことにしました。
主に対応していただけるのは市町村役場の農政部などの担当の方です。

車で南の方から徐々に北上して行き最後は名寄市で話をしました。
一番感じたことは、各市町村によって受け入れに対する温度差が様々であったことです。
調べてある程度わかっている制度のことなどを確認の意味で質問しても、全くお話にならないところもありましたし、「お金は持ってるの?持ってなきゃ出来ないから帰れ」というところ、あきらかにうちは観光で成り立っているんだから農業はおまけ、と受け取れるようなところもありました。
しかし、実際に現在研修中の人のところに連れて行ってくれたり、私らに一番いい方法を一緒に一所懸命考えてくれたりするところもあります。

視察に行けば今まで漠然としていたことがかなりクリアになります。絶対に色々なところで話は聞いた方が良いと思います。
--------その候補の中には名寄も入れてもらえると嬉しいですね!---------
視察が終わったらその足で札幌の担い手センターに行った方がいいですね、
そこでも東京とは違ったより現場に近い話をすることが出来ます。


第2章)名寄までの遠い道・・・これで名寄に決めました

それからは悩みに悩みました。
私としては、視察に行く前に漠然とあそこがいいなぁなんて思っていたところはことごとく裏切られましたので...
結局、何処とは言いませんが、皆さんが良く知っているような土地には黙っていても人がどんどん来るんですよ、だから大して危機感が無いんだと思います。
知名度の低いところは、行政も必死にならないとなかなか来てくれないですし、行政が必死になっているところの担当の方は、いわゆるお役所仕事でやっている訳ではなく、仕事は抜きにし公私共々真剣にこちら側の立場になって考えてくれている場合が多いと思います。

悩みぬいた挙句に私はこれから長い付き合いになるであろう、役場の担当の方の人柄で移住地を決めました。

いま思い返してみても、この選択方法は大正解でした!

第2章)名寄までの遠い道・・・会社辞めなきゃ!

北海道ではそろそろ山の方で紅葉が見られ始める9月末頃だったでしょうか、名寄の役場や担い手センターは精力的に動いてくれまして、翌年の春から農業研修に入ることがほぼ決まりました。
年明け早々からは色々と具体的な準備を始めたかったのでその頃にはもう仕事をしている場合じゃなくなりますね。

大学卒業後16年間勤めた会社でして、いざ退職の意を上司に伝えようと思ってもなかなか切り出せなかったです。色々な意味で辛いものがありました。
しかし、次の目標がはっきりしてきた今、どう思われようが突き進むしかないですよね。
後ろは振り向かないできっぱりと退職を伝え着実に次のステップに進むこととなりました。

そういうわけで、10月初めに12月いっぱいで退職する事を会社の上司に話し、晴れやかな気分で仕事の引継ぎなどを済ませ、無事12月末に退職となりました。

さてこれでもう後戻りは出来ません、プレッシャーもあるのですがそれよりずっと大きな未来が見えてきた気がしました。

それから、もしかすると貰える事になるかもしれない失業保険の手続きは忘れずに!


第3章)農業研修生時代・・・全てが初体験/体力勝負の一年目

まだ雪のドップリとある3月初めにここ名寄市智恵文に引っ越してきました。
家は一軒家ですがそれまで数年間は人が住んでいませんでしたので、引越し荷物が来る一週間前から掃除や修繕をして何とか住める状態にしました。

私の研修先は50ha近くある畑で露地野菜を作っているところでした。
何が辛いって、とにかく見るもの聞くことやることやらないこと全てが全て初体験の連続で、最初の印象は、「全然わからん!全くついていけん!」ということでした。
どんな仕事もあると思いますが、畑仕事にも力の入れ所抜き所要領ってものがあります。
そんなものわからないものですから力は入りまくりで全身痛くないところは無いというほどボロボロになりました。
ちょっとコツがわかってきた頃にはもう次の仕事で、また全く要領のわからないことでしょ、それの連続で常に全身ボロボロの状態を維持していました。

ただ救いだったのは、同じ立場の研修生や、体験をする目的で来ている体験実習生がいて、色々話し合ったりバカしあったり助け合ったり貶しあったり、気を抜ける場所があったことでした。
就農した今でもよき理解者よき仲間です。

妻もやはり大面積の畑作農家で研修することになりました。
同じように毎日ボロボロになりながらよく乗り越えてきたと思います。
そこには気をおける研修生仲間など居なかったのでおそらく私よりずっときつかったはずです。

とにかく一年目は農業ってものを自分の体に叩き込むって事ですね!


第3章)農業研修生時代・・・翌年就農を常に頭に/全てを吸収二年目

通常は2年間同じ農家で研修を受けるのですが、私の場合は色々な事情がありまして2年目は二十数haを夫婦二人で畑作経営する受け入れ先農家に移籍することになりました。

北海道の農家の場合畑が広いこともあり大抵の農家では複数人のパートさんたちを雇っています。(このパートさんさちは”でめん”さんと呼ばれています)
また、体験実習生や研修生、中国人研修生や短期のバイトなどあらゆる手段で労働力を確保し大規模に展開しているように思われます。
(上に書いた人々は全て労働力と考えている経営者の方がいるという話しも聞いたことがあります。 私個人的には研修生が労働力と考えられるのは非常に心外です、研修=労働ですか?何処の世界でそんな公式が成り立つのでしょうか?もしそのような考えを継続されるのであれば、その農家が受け入れているのは研修生ではなく、丁稚奉公or見習といったほうが正しいですね!・・・これはあくまでもある集いで北海道の他の地区の研修生から聞いた話しです、誤解の無いよう。)

私は、規模を拡大し人をたくさん雇ってやっていく経営スタイルは目指していませんので、2年目の研修をさせていただくこの農場はまさに、今後の自分らのために非常に勉強に、参考になるところでした。
当然妻もこの農場で研修を受けることになり、自分の経営体制も見据えたより実践的な研修をしていくことが出来ました。

基本的な手作業は昨年の研修で既に体と頭に叩き込まれており、前年とは比べ物にならない程要領よく体力的にも温存しながらすすめていくことが出来ました。
また、今何をすればよいのか、次は何をするから何を準備しておけばよいかなど、段取りが身に付いていることが実感できました。
トラクターや他の機械での作業もほぼ一通りやらせていただき、自信もつきましたし、ほとんど一年間の農作業の初めから終わりまで、全てに関して携わることが出来、自分で営農する翌年への自信につながっていきました。

もし大きな農家で農作業のある一部分だけにしか携わることが出来なければ、とてもその翌年から自分で全てをやっていくという事に私は自信は持てませんでした、っていうより私には無理ですね!

私の場合、一年目も二年目もその時そのレベルで必要な研修をタイミングよく受けることが出来、非常にラッキーだったとも言えます。
人間運も必要ですから!


第3章)農業研修生時代・・・一番難しい時期/就農目前のオフシーズン

さて、10月も終わるとこのあたりの畑はオフシーズンとなります。
普通だとこの時期にじっくり体を休めて翌年の営農の英気を養っておきたいところですが、これから就農予定の私には本当に就農できるかどうかの一番大事な時期になります。

新規就農に必要なものは「農地・機械・倉庫・家」です

もし、離農する農家がいてタイミングよくそれを引き継ぐ形で購入できれば一発で全てが揃います。 「リレー方式」と言いますが、これが出来るのであればものすごくラッキーですが、私の場合はそのような離農農家が無く個別に揃える必要が出てきました。

 

まず農地ですが、借地と購入の2パターンがあります。
この智恵文地区では現状開いている農地は皆無です(将来的には結構出てくるのでは?と言われているようですが)、あってもかなり条件が悪くいわゆる「誰も手をつけない土地」です、経験も技術も無い私がそのような農地でまともに営農していくのは、とても自信がありません。
それで、借地もありえないと考えた方が良いようでした。 かといって購入地も現状ではありませんが、たまたま研修先の親方が一部手放してもいいと思っていた農地がありまして、運良くその農地を取得することが出来ました。

注)農地は法律によりその売買や賃借が厳しく規制されています。
  「ここをあんたに売ってやる」といってもそう簡単にはいきません、法律違反にご注意を!
  このような取引を一手に行う機関が「農業委員会」です。

機械は買うしかないですね、トラクターやトラクターで使う作業機、選別機、動力噴霧器とかあと工具とかクワとかバケツとかスコップとかカマとかとにかく大きいものから細々した物まで全てそろえないといけません。
ただ、トラクターの作業機で年に1回しか使わないようなものは当面、研修先の親方から借りるという手もあります。(使いたい時は皆一緒なのでなかなか使いたいタイミングに使うことは出来なくなりますが)

倉庫、これ無いと全て雨ざらし吹きっさらしの雪の下になるので絶対に必要です。
無いものはしょうがない、畑の一角に建てました。
ただし私の場合は倉庫じゃないです、この中でトマトの選別やカボチャをキュアリングしたりもしますが、主には各種苗を育てる目的で建てました。オフシーズンは機械・備品などの保管をしています。

 

家はそんなに簡単に建てられません、畑に隣接して家があるのが理想ですが、お金を生まない家にそうそうお金を掛けてはいられません。
当面は今借りて住んでいる家に住ませてもらい、通いでやっていきます。
将来はログハウスをDIYで建てたいです。
現状忙農期には畑に通勤する7分間がおしいのです。

10mくらいのトレーラーハウスを畑に置いて夏場はそこで生活しようかとも考えています。 このトレーラーは将来ファームインとかファームレストランとか体験実習に来てもらった人の宿舎にも使えるから無駄な買い物にはならないと考えています。

 

そんなわけで就農に向けて「農地・機械・倉庫・家」全て何とか揃う段取りはつきました。
忘れちゃいけないのは資金です。
お金を有り余るほど持っている方は問題ないでしょうが、私はいろいろ考えた挙句自己資金には手を付けず、全て借金で購入しました、かなりの金額です。
2年間研修したことにより借金が出来る資格を持てますので、農業資金で借りれるものはとことん借りました、なんたって自己資金使うより借りた方が無茶苦茶得だったのです。


第4章)就農一年目・・・ゼロからのスタート

第3章で書き忘れましたが、当然農業経営の計画(営農計画と言いますが)はオフシーズンの間にじっくり考えておかないといけません。
肥料・農薬・種苗・作物毎の栽培面積・労働時間・その他備品等雑費(特に初年度は色々お金がかかります)・栽培計画・販売計画・原価見積・売上見積・作業スケジュール
上にあげたものは計画を立てないといけないものの一部ですが、最低これぐらいは明確に計画を立てておく必要があると思います。
この中で自分がやってて良かったと思いました一番の計画書は「作業スケジュール」です。
一日毎に何の作業をやるのかをオンシーズン中の全日程についてスケジュール予定を立てておきました。
新規就農の場合、何時何をやればいいのかが一番わからないところですが、オフシーズン中に自分で調べたり研修先の親方や近所の農家、農協、普及センター、などあらゆる手を使って明確にし、自分の経営に合うようにアレンジし、あらゆるパターンを割り出して何度もシュミレーションを繰り返すわけです。
これにより「これなら出来る!」ってやってもいないのにちょっと自信が出てきます。
忘れてはいけないのは工数(作業にかかる労働時間)の算出で自分が素人であることを忘れない事、初年度は何をやるにも他の人の2倍時間がかかるくらい考えておいた方が良いと思います。
農業は天候に左右されるといいますが、このスケジュールを立ておけば工数の割り出しが大きく間違っていない限り、臨機応変に計画を入れ替えていけばそんなに狂うこともありません。

そんなこんなで、多くの人々の支援を受けまして、何とか就農という形になり無事「福島ファーム」は開園となりました。

農地は前年12月までに、機械はほぼ3月までに大体の手配が終わり、3月中旬より早速ビニールハウスの建設を開始しました。(左の写真のハウスです)
その頃まだ畑には1m以上の雪がありますので、まず雪はねからしないといけません。
これはミニトマト・ミディトマトのハウスですので、建設などの詳細は農園の作物紹介ページを見てください。

私は作業スケジュールにて工数の見積もりが甘かったようで、思ったよりかなり働きました、それでも何とか収穫前までは予定表どおりに進み、我ながらうまくいっているなという実感でした。
しかし収穫が始まるともう大変です、ぜんぜん思うように収穫が進まない、一つ一つの収穫に時間がかかりすぎる。
とうもろこしに関して言えば予定の半分以下しか収穫できませんでした。 ここでは書きませんが様々な反省点があります。しかし、どれも改善できる余地はあります。
ということで、来年の課題は「効率の良い収穫作業」ということに決定しました!

そんなわけで一年目の結果をいろんな意味を踏まえて評価するとこんな感じになります。

・ミニトマト/ミディトマト 50点 収量はあれど市場価格↓ 販売方法の検討必要
・じゃがいも   95点 予想外に品質・収量共に良、畑の地力に助けられた
・かぼちゃ   40点 半数を害獣の食害に遭う 対処法の検討必要
・とうもろこし  40点 生育の不揃、害虫の発生により収穫の手間倍増 要検討

とにかく忙しい一年でしたが、やっぱり自分の農園で自分のやりたいようにやっていく事ってほんとに楽しかったです。 苦労が苦労と思わないのが不思議ですね。
妻も良くついてこれたと関心・感謝しています。 農業は1人では出来ませんよ!
来年の課題もたくさん持てましたのでまた今後が楽しみです。


第4章)就農一年目・・・楽しい!

まとめ)

とにかく自分で農業が出来るって一言で言って「楽しい!」です。
やっている最中はきついし、痛いし、思うようにいかないし、ホントに辛いことの方が断然多いです。

だけど、夕日の中でちょっと一服、缶コーヒーを飲みながらたわわに実った畑の風景を見ていると、北海道に来て農業をやっている自分が不思議でもあり、また本当にやることが出来て良かったなぁなどと思ったりします。

私は消費者という言い方は嫌いです。消費するって言うのはあまりにも機械的っていいますか、心が無いですよね。 適した言い方を思いつきませんが、
食べていただく皆様方には、「うまい!またちょうだい」と言っていただけるよう、これから更に技術を磨き、経験を積んで、美味しい野菜、これが北海道の野菜だ!というものを、心を込めて作っていきたいと思っています。

2005年よりこのホームページ「キタトマ」にて産直通販という形で皆様方に直接買っていただく事が出来るようになりました。

なにとぞ「キタトマ」(福島ファーム)をよろしくお願いいたします。


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